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2018年 08月 06日
現在は、日本にて生活をしておりますが、日本の生活は思ったよりも快適に感じるというのが本音です。最近は東京にも外国人が増加し、英国・ロンドンにて多文化・多国籍が当然の環境で生活してきた自分としては、日に日に生活のしやすさが増していると感じます。生活しているエリアもエクスパッドの外国人が多く、ロンドンのような雰囲気の中で生活できているということもあり、気分的には楽だと言えるかもしれません。 また、日本について感じることは、経済は飽和しているようでしていない雰囲気、低金利過ぎて利上げ圧力が上がっているものの重い感じ、低迷していたように感じていたのに実際には活気がある。おもてなしの精神は意外とレベルが高くなく、グローバルの富裕層が想定するレベルのサービスをほとんど提供できていない質の低い状態かつ提供できるホテルの数も少ない。(コンテンポラリー)芸術と文化レベルは世界トップクラスだが、街の建物はどこか物足りない。銀座と表参道の建築は興味深い。食事や飲物(アルコールを含む)はグローバルで見てもこれほど素晴らしい環境はない。東京のミシュランの星の数、ピブグルマンの数といった定量データには現れてはいるものの、実際に生活していると、金額の割に質の高さは異常な程高い気がします。あくまでも個人的感想です。 ロンドンの生活と比較して東京の生活を考えてみると、日本人であれば、特に文句の出るような生活はしてないと言えるかもしれません。ただ、受けている教育レベルはロンドンと比較して、教養が浅いと感じることも少なくありません。LSEの修士時代に当たり前のように出身の学部(Undergrad)がオックスブリッジやアイビーリーグ(イエールやスタンフォード)、北京清華、グランゼコール等の人間と勉強する環境にいたため、大半の日本人は能力はさておき、教養・教育レベルはどこか物足りない気がします。 ただ、人のことは言える立場ではありませんが、LSEの人間はキャリア的にはあまり面白くないように思います。判を押したように、外資系投資銀行をはじめ、戦略コンサル、国際機関、弁護士、政治家等、皆が同じ方向を向いているのがLSEであり、大抵みんな同じようなところに決まっていくため、キャリアの方向性にはほぼばらつきがないように思います。社会人になってから海外にいる同僚に会いにいくと、大抵マッキンゼー香港支社のBAとかベイカーアンドマッケンジー法律事務所バンコクのアソシとか、よくてロンドンのプライベートエクイティのアソとかになっています。これらは下積みとしては必要なことではありますが、そこからどうするかが実際のところは重要なことなのかもしれません。 さて、個人的には寄付をしたり、ボランティアをしたり等の慈善活動を行ったり、教養を深めるために頻繁な海外旅行、芸術品を購入したり、美術館にビジットしたりといった生活をしておりますが、まだまだ自分のできる範囲は当然のことながら狭い状態です。どうすれば、より社会に貢献できるのか、それが自分にとっての最大のテーマかもしれません。SDGsのように持続可能な開発目標というレベル感ではありませんが、どうすれば、持続的に社会に貢献できるようになれるのか、といったことを日々は流れているものの考えるようにはしています。まだまだ未熟ではるので、考えられる範囲は狭く、できることも限定的なため、日々挫折感というか、勉強が必要だと感じることも少なくありません。知識を深めることはもちろん重要ですし、ナレッジはより重要だと感じています。今の日本にはナレッジが足りているところもあれば、無い分野もあるので、そうしたナレッジの無い分野で自分が戦え、かつ、サスティナブルな成長に貢献できれば良いと感じています。それは日本でも良いですし、世界であればより良いことかもしれません。 色々考えることはありますが、より自分の学習レベルを高めていくことは必要なことだと感じています。
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by lse_keio_sfc
| 2018-08-06 23:54
| 仕事
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2017年 03月 16日
日本の産業構造が変化して行くのは目に見える形で現れてきたように思います。以前にも述べたかも知れませんが、製造業からサービス業へのシフトはここ最近急激に起こっているように思います。BtoBの産業に関しては高収益を継続しそうな印象もあるものの、コンシューマー・エレクトロニクス分野に関してはジャパン・ブランドはほとんどなくなってしまうのではないか、そんな風に感じています。今回はそれについて雑感として感じることを記述しておきたいと思います(ふと思いついたくらいのことなので、かなり大雑把な議論であることは御了承下さい)。
事実、近年急激に業界再編が起こっていることや、大まかにはコンシューマー・リテールは人口x所得によって、ある程度はトップと利益の上昇要因が決定されるように感じるため、ピーク時から人口と所得の両方が減少している日本の消費者市場の魅力は低下の一方であるように思います。最近は爆買いも鳴りを潜め、いよいよ売れなくなっていると感じるのが現状です。また、ジャパン・ブランドがアジアを中心とした消費者市場に受け入れられるかというと、それも困難と言えるかも知れません。これからはジャパンかどうかよりも企業単体のブランドの価値の方が重要になってくる可能性があります。その理由としては、ハード技術は既にコモディティ化しているようにも見えますし、コモディティ化していない贅沢品である部分はコンシューマーはそれほど求めていないように見えます。 重要な部分はソフトであるiPhoneなどのアプリで管理できるような設計にしておけば、アメリカのIT企業が勝手にグローバルレベルのものを開発してくれるので、R&Dに投資する金額を抑えられるのではないかと思ったりします。こんなことを言ってしまうと怒られるかも知れませんが、保有していてダブつく工場や研究施設は外資に売却(リストラは外資が行う)、基本はファブレスでデザインのみ開発して、人件費の安い国の会社に発注。技術力の比較的高い製品は中国、比較的簡単な製品は東南アジアなどにアウトソースという形にすれば、利益率も上がるように感じます(やれるなら既にやっているでしょうし、実際に多くの企業がやっているように思いますし、当たり前過ぎることを言っていますが)。近年の状況を踏まえると、プロダクトの品質はそれほど問われないですし、アフターサービスを充実させることで、利益率を維持しやすい環境であると感じます。また、それによって必要のあるR&D経費にそれを再投資できるようにもなることから、株式市場の好感度も高まるように思います。とはいえ、これが簡単にできるかと言われれば、まだまだ困難ですし(然し乍ら批判はメディアのバッシングはそれほど大きくないと感じます)、経営者としてもそうした判断は可能な限り下したくないというのが現状ではないかと感じる次第です。 これを10年前にやってしまえば、確実に「売国奴」と呼ばれているはずですが、今の現状ではいかに企業が生き残るかが重要になってきている上、企業が潰れてしまえば、リーマン・ブラザーズが破綻した時のような社会的ショックが広がる可能性もあります。企業を形として救済し、不要なものを売却して利益率を上げることによって、投資家サイドにも日本が変化していることを示していかなければならないように思います。やはり儲かる国にしていかなければ、投資家も集まらないですし、国全体としての雰囲気も暗いものになってしまうように思います。 そして、現在では多くのサービス業が増加していますし、必要があれば転職がしやすくなっていることも上記のようなことができやすくなっていると言えるかも知れません。製造業というものがこれから減少し、現在コンサルティング(実質SE含む)各社が100人規模で人員確保していると同時に、所得の金額ベースで見ても、製造業よりも比較的高額なものに変化すると考えられます。また、その他ITベンチャー、SEなどのサービス業もありますので、逆に産業構造の転換が日本再起のきっかけになるかも知れませんし、英国のような状況でGDP成長を2%以上で維持できる可能性も否定できません。新陳代謝が日本をより良い環境にしてくれると言えるのかも知れません。 ※あくまでも感じることであるため、特に実質的に影響を及ぼしたいとも思っておりませんので悪しからず。また、こちらの方は私の方でも不確定なものであると考えておりますので、鵜呑みにされないことをお勧めします。そして、このアイデアによって、損失が出たとしても全く責任は持てませんので、ご了承下さい。
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by lse_keio_sfc
| 2017-03-16 16:28
| 日本関連
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2017年 03月 08日
![]() 日本の場合、感覚が遅れているのではないか、と感じる機会は少なくありません。同時に文化も違うように感じます。感覚で言えば、既に世界の多くの場所では、専門性のある仕事や大学院に行くことが自分のポジショニングを決めると皆分かっているにも関わらず、日本の場合は”根性論”に終始する傾向にあるように思います。文化の違いとすれば、日本人ほど、給料や名声を重視し、スキルや経験を軽視して伸びない例が多いように感じます。 根性論というのは、「自分で勉強できる」と信じて疑わない点です。基本的に自分で勉強してできるのは、大学受験までで、高等教育になれば、「適切な教授から教えてもらうこと」が重要であると感じます。世の中に様々な論文がある中、「何が正しいのか?」というのを選別することは大変難しいです。それを適切に教えてもらい、ある程度ガイドされながら学んで行くことのできる環境選択をするというのは非常に重要であると感じます。日本の理系で世界で戦えるような研究をしている場合や、社会科学系でも経済学のような学問であれば、質の高い教育は日本でされているようにも思いますが(想起するのは東大ですが)。 日本の社会科学系や人文学系修士の場合、大半は好き勝手研究しているのではないか、と思うような内容が記述されていることは少なくありませんし、「これが日本の研究を進めるものなのか?」と言われれば、必ずしもそうではないと感じるものも少なくありません。要は何をいっているのかわからない、というのが多いかもしれません。政治学と言っているにも関わらず、政治学の前提を押さえていないとか、そもそも重要な学者をなぜか押さえられていないとか、そういうのは結構多いかもしれません。その割にはプライドだけが無駄に高い方が結構多いのを見ていると、教える人の重要性を理解できるように思います。一生懸命研究しようと努力はしているのは理解できるのですが、間違った方向に努力をすれば、別の方向に行ってしまいます。従って、どんなに勉強しようとも、一生懸命研究しようとも、別の方向に行ってしまった場合、軌道修正も難しくなるため、「自分で勉強すればなんとかなる」というような根性論で片付けられるものは、今後より少なくなるでしょう。 文化の違いという点ですが、こちら英国(少なくともLSE)では、給与の高い職が”結果的に”人気ですが、実際のところ皆が重視しているのは、「スキルと経験」です。日本においては、最近はこれらの重要性は認識されてきてはいるものの、”正しい感覚”が市場に出回っていないように思います。そうでなければ、何も考えずに”大企業”というよくわからない指標で選ぶというのはありえないように思います。私は最近就活用語の”大手”という言葉を知ったのですが、初め聞いた時に「大手って何だ?」と思ったのですが、大企業を指すわけですね。聞けば、「安定していて給与が高い」とのことですが、そんなところに行っても、その会社がすぐに潰れるかもしれないし、その他大勢だとスキルも経験もきちんと身につかないので(結局長期的な研修は業務上での経験でないため、ほとんど役に立たない)、潰れた後に転職できない。ということにもなります。ただ、安定とか給与という信仰があるからこそ、商社とか製造業、IT系、商業銀行の大企業などが人気なのかなと感じる次第です。 PEやHFのようなファンドレベルは基本無理としても、投資銀行(日系も含めると)やコンサル(外資とつくITコンサルだけでも多数)のようなところであれば、比較的窓口は広いですし、スキルや経験を身につけることもできます。投資銀行やコンサルであれば、外資トップでも同世代上位100人にはいれば良いですが、PEファンドであれば、外銀IBDやトップ戦コン経験者が業界全体で年間5人ほど入れれば良い方なのでは?と思うほどです(今年は例外的に採用が多い気がしますが、それでも一桁かと)。そもそもPEの人材の回転は遅い上、一社当たり5人とか10人のレベルでしか在籍していません(15人とか20人であれば大所帯)。これらの需要がロンドンなどでは高いわけですが、その理由としては、「スキルと経験が積める」ことに他なりません。少人数であるため、投資の実行や会社のマネジメント、売却までのプロセスを一人でやりますし、その際に動かす人間は小売であれば1000人など動かしたりもします。ファイナンス、マネジメント、マーケティング、法律、経済などなど自分で実行していかなければならない範囲は非常に広く、インテンシブです。金銭と職務範囲の一致に対する考え方は非常にシビアです。そのため、皆そのために働くというインセンティブがあるように思います。 日本であれば、そうしたことが曖昧ですし、最近になってようやくそれが進行してきたということもあり、まだまだ人々の感覚としては遅れていると言えるかもしれません。よりスキルや経験重視の世の中になっていくことを期待しています。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2017-03-08 09:15
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2017年 03月 04日
![]() 最近の採用動向などを聞いていると、近年の日本は急速にサービス化が進行していると感じます。私の考えているよりも、時代の変化は早いように感じます。以前であれば、10年かけて変化していた物事がリーマン・ショック前後では5年と言われ、現在では2、3年で変化しているような印象です。その中でも特に変化していると感じるのは、産業のサービス化です。第二次産業から第三次産業へのトランジションが起こっていると表現すればよろしいでしょうか。 特に有効求人倍率は1.4倍を超え、リーマン・ショック以前のような活況を示しているのが近年の日本と言えるかもしれません。ただ、2007年以前と異なるのは日本で人気のある職業などです。おそらく2007年以前といえば、金融やIT、製造業などが人気であり、特に一般的な就活生の目で見れば、多くのメーカーのような大企業に就職することがいい時代だったのではないでしょうか。リーマン・ショック以降は、コンサル、商社あたりが台頭してきている印象です。また、IT企業も大企業化し、当たり前のように就職する方が増加している印象でもあります。例えば、リクルートやサイバー・エージェントのような企業も当たり前のように人気があり、英国にいる時と全く職業選択の仕方が異なることに少し面白味も感じる次第です。 英国ですと、金融が非常に発達している一方で、他のインダストリーはEUの方が強いこともあり、ソフトバンクに買収されたアーム社などの少数の会社を除いて、グローバルトップレベルで見れば、それほど金融以外が強くない印象です。そのため、プライベート・エクイティ、ヘッジ・ファンド、投資銀行、コンサル(金融関連)が絶対的な印象ですし、専門性がなければ生き残っていけない世界でもあるので、必然的にこうした産業が人気となります。一方で、日本の場合は、製造業を除いて、他の先進国と比較すると、金融などのサービス業は可もなく不可もなくという印象でして、ロンドンやニューヨーク(VC・ITはカリフォルニア)と東京を比較した場合はかなりの差があるのは否めないと言えるかもしれません(コンサルはあまりわからない点ではありますが)。製造業も時間の問題で、当然ではありますが今後どのような戦略をとっていくかによって勝敗が決まるように思います。今は日本が圧倒的に強さを誇った1900年代後半ではなく、現代です。 その現代を考慮すると、日本の強みはサービス業で、かつ、ホスピタリティに関連したものかもしれません。私自身、星野リゾート(特に「界」)が個人的に好きなのですが、その理由として、もちろん経営者の星野氏の手腕が凄いのは当然なように思いますが(素人目ですみません)、その的確とも言えるストーリーテリング、自然の使い方、宿泊先の立地や雰囲気、社員のホスピタリティなど、まさにヨーロッパで生活していると渇望するような日本の良さを体感させて頂ける空間であるようにも感じます。ヴィラ・デル・ソルとか素晴らしい空間ですよね。本当に(私は全くもって関係者ではないので悪しからず)。ただ、一方で、中国でも急速にそうしたサービス業が発展しつつあるように思います。これまでの中国といえば、サービス業でも、客を客と思わないような態度を取られることも少なくありませんでした(もちろん地方もそうかもしれませんが)。下記の動画を見ればだいたい理解できますが、インターネットの普及によって、サービス利用者からの外部評価が加わることにより、顧客中心のサービスに変わりつつあるように思います。元々日本では「お客は神様」という考え方がありましたが、中国では改革開放以前は資本主義国家ではありませんでしたので、「供給側が偉い」という認知がされていたように思います。しかしながら、近年は極度の資本主義国家と言えるような形に様変わりしており、金銭を持っているものが社会を支配しているように思われるほどです。それがインターネットの外部評価制度と相まって、結果的に「サービス業の急速な改善に繋がっているのではないか?」と感じます。 さて、日本の就職という視点に一度戻りますと、日本の就職活動で驚くのは、急速な外資金融の縮小と外資コンサル(戦略、総合、ITなど含む)の拡大です。外資金融は見ての通り、ブレグジット以降、欧州系の金融機関は特に日本においては苦戦しているように見受けられますし、米系は調子は悪くないとは思いますが、東京オフィスの採用自体の活発さは2015年と比較すると、あまりないように感じるのが実情です(もしかしたら違うかもしれないので悪しからず)。しかしながら、コンサルティングは聞けば、中途を含めれば、コンサルティング・ファームも100人単位で募集している会社もあるとの話を聞いたりするなど、ファームの規模を拡大しようとしているのを感じる次第です。これからは専門性の時代であることを象徴する出来事と言えるかもしれません。 この日本の就活の状況は私が学部生の時に聞いている話(ほんの2、3年前ですからね)とは全く違うように思いますし、時代の変化がいかに早いのかが理解できるように思います。これから日本はどのように変化して行くのか、ある程度想像はできますが、まだまだ正確性が乏しいかもしれません。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2017-03-04 17:41
| 日本関連
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2017年 03月 02日
![]() ここ10年ほどでプロ経営者という呼び方は定着してきたように思いますが、日本の大企業においてはそれほど活発な動きではなかったように思います。しかしながら、これからプロ経営者は定着していくということが予測されると同時に、外資などの2000年以前に就職した人からすれば、「亜流」とされるようなキャリアがこれからは主要な地位を示していくかもしれないことを示した事例があります。日本マイクロソフトの樋口会長、パナソニックへ異例の出戻りです。 今までの日本企業であれば、新卒で入社した方がそのまま社内で勤め上げるという終身雇用の体制が普通でしたし、今でも多くの方はそう考えているように思います。東芝が生き残りをかけて半導体事業の売却を目指していますが、この状況を見れば一目瞭然で、これからの時代は「何も考えずに就職すれば良いというわけではない」ことを示す事例かもしれません。シャープも同様ですし、こうした事例が日本企業が世界で頭角を示していくにあたって、大事なことであるようにも思います。 また、内部だけで人材を育成していくのは必要なこともありますが、外部から実績のある人間を雇う方が良い場合も多々あります。特に外資系で勤めていると、グローバルスタンダードに関する考え方が植え付けられていることもあり、日本企業の動きに対して、世界がどう見るのかを知っている方も多いように思います。それに加えて、優秀な人材が外資系企業にどんどん流れているため、外資に行った人間でも買い戻すことが重要なのかもしれません。 今はコンサルや投資銀行出身者が活躍するような時代であると思います。企業でこれらのプロフェッショナルファーム出身が活躍して行く姿が見られるかもしれません。これらPF出身者が行く企業といえば、外資系事業会社、ベンチャー、商社というイメージでしたが、これからは時代が変わって大企業に行く方が増加して行くように思います。非常に楽しみな時代ですね。 PEファンドへの見方も変わって行くのではないかということも考えられます。PEファンドは一部のトップPF出身者しか認知していないというレベル感でしたし、ロンドンやニューヨークといった都市と比較しても、東京はPEファンドの機能が明らかにアンダーバリューされているとしか思えないような状況でした(日本全体に言えることですが)。ファンドへの見方が変われば、ファンドに投資する方も増えるでしょうし、バイアウトや企業再生といった社会に必要とされるファンクションが当たり前のように受け入れられるように思います。また、こうしたノウハウを持つ人間が今の大企業の中枢に行くことが今後は予想されるように思います。 つまり、個人ベースでやるべきことは、スキルや経験ということを言う方がいると思いますが、それは20代の話で、30代は”実績”がものを言うように思います。いかに自分が実績を出せる分野で勝負できるか、つまり、挑戦していけるかが重要な時代になって行くと予想されます。実績を残すために、ベンチャーや中小企業に入って見たりして、「私のいた〇年間で売上の◯倍向上に繋げました」と言うようなこともできるでしょうし、そのあとにミッドキャップレベルの外資系企業で実績を残すことも考えられます。もちろん、上記のような実績の出し方もありますが、それと同時に「私は〇〇の業務に従事してきており、プロジェクトリーダーとして〇〇を担当してきました」のようなことが必要になるかもしれません。 全てが不安定な時代に突入しそうな時代では、”サバイブ”する力をつけて行く必要があります。私はそのような時代が来ると思い、今のようなキャリア選択や留学といったことを考えてきましたが、そうした時代はもう既に到来しているようです。皆様がどのような企業が良いと考えているのかはわかりませんが、自分を試せるような会社で勝負することが重要であるかもしれません。挑戦こそが将来の自分を助けてくれるように思います。 人材の流動性や競争がより激しくなれば、日本の国際競争力もより高くなる要因になるかもしれません。未来はそう考える私たちが担っているように思いますし、それが停滞しているように見える日本を明るく照らしてくれるに違いありません。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2017-03-02 01:48
| 日本関連
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2017年 01月 21日
![]() Catalystと書くと、何やら株アナのような雰囲気が出るような気がしてなりません。カタリストとは、「触媒」という意味でして、キッカケとなるキーマンのようなものでしょうか。アナリストレポートを読んでいると、大抵カタリストという言葉が出てきているのがわかります。ただ、今回言及したいのは、特にそういうことではなく、将来の日本へ貢献していくものは何か、ということについて考えたいと思います。 新結合を生み出すのは何か 以前の記事でも言及したように、これからは新結合を生み出していく必要があると言及しました。新結合を行うことによって、マクロ的な意味では、経済成長を促進し、貧困を減らしていく触媒になりうるということは数え切れないほどの論文で言われている通りです。正直なところ、イノベーションというのは多くのタイプがあり、今はオープン・イノベーションの時代と言われている次第です。一方で、セミマクロ的な面で見ますと、イノベーションが起こることによって、企業間の競争が良い意味で刺激されますし、イノベーションを起こして、今の時代はアップルの事例を見ればわかるように、必ずしも先行者が全てのメリットを享受できるわけではなく、無形資産であるブランドを持った企業が勝てたり、製品のデザインの良さを売りにする企業など、自分たちの強みを生かした企業が生き残っているような時代にも見えます。ミクロ的な意味合いでは、企業単体の収益性や生産性が向上する期待が持てたり、個人の生活が豊かになっていくというメリットも存在していきます。 イノベーションの解釈の困難さ ただ、そのイノベーションを起こす源泉とは何か、というのが一番の問題かもしれません。例えば、バリュエーションの世界でも言われていることですが、「R&Dや知的財産にただお金を突っ込めばいいわけではない」という話です。R&Dはわかるように、「研究開発を行うことは将来の成長性を促進する可能性を高めるものの、だからと言って、それが将来の収益を保証するものではない」という複雑な話です。また、知的財産に関しては、「知財を得たその時点ではそれがキャッシュを生むのかはそれを売って見ないとわからない」ということにもなります。逆に、特許の維持などによって、キャッシュが出ていくのみで、その財が企業価値向上に繋がらないと言ったのはよくある話なのかもしれません。イノベーションに関しても、「その結合をおこなったものが果たして本当に新しいものかどうかはわからないし」、「そのイノベーションが果たして収益性や効率性を上げるものなのかも不確実である」とも言えます。 スモールワールドがイノベーションにつながる? もちろん、イノベーションの原因は何か、という話で、様々な視点がありますし、研究が進められていることも確かです。多様性、専門性、クリエイティブマインド、スモールワールドなどなど。ちなみに、スモールワールドという言葉は聞いたことがあるでしょうか(it's a small world!に近い概念ではあります)?ノース・ウエスタン大学のBrian Uzziとスタンフォード大学のJarrett Spiroが行なった研究で、Silicon Valleyのような地域・コミュニティや会社などの組織により構成されたスモール・ワールド・ネットワークがクリエイティビティやパフォーマンスに影響を与えるというものであるようです。例に取ると、海外大生のネットワークかもしれません。だいたいトップ校にいると、”知り合いの知り合い”に会う確率は極めて高いように思います。また、その小さなネットワークによって、もたらされるベネフィットが大きいことも何となくお分かりではないかと思う次第です。小さい世界の中で生きている何となく息苦しい感じもしなくはないですが、しかしながら、そのベネフィットも大きいため、その内輪で生活していくことが良いと感じる人もいるかもしれません。ただ、”類は友を呼ぶ”という形で、分野は違ったとしても、お互いにもつスキルや経験が高いことから、それらを合わせると、シナジーを生むこともあるでしょうし、友人に”友人の友人”を紹介してもらうこともできるはずです。そうした流れから、高い専門性の混成がクリエイティビティやイノベーションといったことにつながるのかもしれません。 日本人の専門性 正直なところを申し上げると、日本人の場合、お世辞にも専門性の高い人が多いとは言えず(もちろん私も含まれますが)、お隣のお国の中国やイノベーション大国アメリカと比較すると、専門性を高めようとする人はそれほど多くないように感じます。逆に日本の場合ですと、専門性を高めることに対して、”負のイメージ”を持つことが多いために、結果的に専門性を高めたいと思う人が少ないのかもしれません。例えば、「文系は修士・博士課程に行けば就職できない」とか、「女性は〇〇」とか、意味のない負の負荷が多いように感じます。その結果、逆に言えば、金太郎飴のような人間ができてしまうということが言えるかもしれません。今からの時代は専門性の時代のように感じておりますし、逆にリスクを取らず、”平均でいようとする”ことはマイナスの効果を生み出していく可能性が高いかもしれません。こちらは断定はできませんが、”二極化”に向かっている中で、平均であることは自分がコモディティ=特色のない人間であることを指し示す結果になる可能性は十分にあります。 高等教育がイノベーションのカタリストになりうるか? 閑話休題で、グローバルでは(最近では日本にもその傾向があるようにも思いますが)、修士に行くことはもはや普通のことですし、なければ、大卒は高卒のようなレベルとみなされる時代が来るかもしれません。博士はこちらではDistinctionを取ることによって初めて行けるようなイメージではあるので、”優秀かつクリエイティビティに溢れる方”という印象は強いようにも思います。また、これら博士課程で専門性を培った方々が集まり、それをうまく取りまとめる人間がいることによって、”新結合”が生まれる可能性が高まるのではないかと思われます。Silicon Valleyのような環境でクリエイティビティの高い製品やサービスが生まれることも多いかと思いますが、それは例えば、マークザッカーバーグのような人間がいるから、というのももちろんあるかもしれませんが、それ以上にそれを取り囲む人々のエッジの効いた専門性の高さ、事業理解レベルの高さが新結合のカタリストになっている可能性は十分に考えられるように思います(それ関連の論文もあるかもしれませんが。もし御存知でしたらご紹介ください)。 少しとりとめのないまとめ方にはなりましたが、要は日本人はイノベーションを起こしていくために、今持っている集団の力や基礎教育レベルの高さに加えて、専門性を持っていくべきではないかという話です。能力と専門性は別ですが、どんなに能力を持っていたとしても、専門性やスキル、経験を積むことなしにはそれを持つ・経験する人には勝てないように思います。これは私が肌で感じたことです(私が単に能力が低いだけかもしれませんが)。ただ、色々な考え方があると思いますので、それをまた、カタリストとして行けば建設的な議論になるようにも思います。それが将来のイノベーションのきっかけなのかもしれません。
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by lse_keio_sfc
| 2017-01-21 03:52
| 将来
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2016年 05月 24日
![]() 最近は日本人留学生が減っている。そんな話を聞くことは多くないだろうか?おそらく、これを聞くと、日本人全体の留学生数が減っているという結論に至るのではないかと思う。 これは半分本当で半分ウソである。日本学生支援機構の調査によると、学位留学に関しては停滞している状況であり、統計を取り始めた2009年の1408人から2014年に1650人と増加しているように見えるが、前年度の1713人からは減少している。2010年が1713人だったことを考えると、特に増加も減少もいない、というより、若干減少気味とも取れる可能性がある。一方で、1年未満の留学に関しては毎年増加し続けており、2009年から2014年で44%も増加している。結局、皆”エコノミカル”な選択肢を取ろうとしている、というのが現状かもしれない。また、留学する人間全体でみると、もちろん増加している。2009年の36000人から2014年には81000人という状況だ。 これは、留学すること自体の意義は見出しているけれども、学位留学するほどでもないと考える人が多いからかもしれない。事実、慶応大学の統計でも、交換留学を希望する人は年々増加しているようだ。しかしながら、この交換留学の増加に合わせて、企業も新たな方策を取りつつある。それは、”交換留学生のジョブフェアでの除外”である。企業からすれば、”正規”の人間をとりたいにも関わらず、全く関係のない日本の大学生が来ているという印象になる。そのため、ボストンキャリアフォーラムなどで、交換留学生が多く、本来のターゲットであるはずの人間が取れないという話も耳にする。ただ、一方で、正規の人間のパイがあまりにも少ないため、企業もどうすれば良いのかわからない状況である。 逆に言えば、正規で留学していれば、その分目立ちやすいというのはある。もちろん、留学とはいえ、上位の大学に行くことがもちろん望ましいのだが、それでも日本の大学で箸にも棒にもかからないようなところにいるよりは、留学した方がよりいいところに行ける確率は上がるように思う。というのも、同じ能力であれば、英語ができるとか、留学で苦しい経験をして乗り越えるガッツとか、そういったところが評価されやすいからだ。ちなみに言っておくと、英語力そのもので評価される採用はほとんどない。あくまでも補助的なものであったり、「日本語が完璧」で初めて評価されるものであったりする。つまり、基本的には日本語が弱いと英語力が評価される機会はほぼ”0”だと思った方がいい。 トップ企業になると、学歴(中学から大学まで全て)、日本語力、数字力、英語力、教養、地頭の良さに加えて、スポーツなどのアクティビティが評価される傾向にあるし、それでいて、リーダーシップの取れる社交的な人間である必要がある。そんなのいないのではないか?と思うかもしれないが、学部時代から今に至るまで意外と結構いるので、それくらいはやっておく必要があるのかもしれない。特に望まないのであれば必要ない。 この学歴ではあるが、海外の学部生だとあまり序列がわからない人も少なくないので、書類通過が意外と簡単だったりする。日本だと、筆記の時点でかなり切られるように思うが、こっちだと甘い。つまり、機会を得やすくなる。学歴と経験などで日本の学生よりも優遇されやすく、英語ができるので、あとは、日本語力と数字力をいかに高めておくかが重要になるだけだ。つまり、ハードルは低くなる。1年未満の短期留学をしたとしても、”コモディティ化”してしまっているので、最近は比較的評価はされないが、学位留学だと効果が高まる。院生だと、出身大学がネックになることが多々ある(つまり、書類で切られる)が、学部から来ているとその障壁がなくなる。自分の場合、いずれの状況にも当てはまらないが、日本人でくすぶっている場合はこういう選択肢もありなのかもしれない。 結局、何が言いたいかというと、学位留学をすることで、選択肢の幅が広がるということだ。これは日本で就職、またはアジア(日本語ができるとプラスになる求人も多い)を目指す場合だけでなく、ロンドンやヨーロッパで就職する場合もそうだ。迷っているなら、留学をしてみることも一つの選択肢かもしれない。ただ、これは自己責任で。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2016-05-24 07:34
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2016年 04月 15日
![]() 日本の大学は改革の必要に迫られているように思う。日本の大学といえば、バブル期には世界で最も優秀だと言われてきた。受験戦争がフォーカスされ、また、一方で、理系人材のレベルの高さがフォーカスされていたようにも思う。その名残からか、日本の大学は富裕層から低所得者層まで依然として日本の大学に信頼を置いているように思う。そのためか、日本人で海外の大学に行かせるような親は結果として少ない傾向にある。というのも、全般的に基本的に国内での地盤や人脈が重要であることを知っているためである。HBSやウォートンなどのトップスクールのMBAやアイビーなどのPhDを持っている人間で、日本でも高学歴と言えるような高校、大学と出た人間は基本的に”フラット”に物事を見ることができる。留学して感じるのは、日本の学歴も海外の学歴も両方あった方が便利だということを常々感じる。それは、両方の顔が出来るからだ。 学部生時代は日本の大学、院生は海外の大学と卒業しておくと、両方のメリットが享受できる。この理由は、日本だと学部時代の学歴が学歴として扱われるのに対して、海外では大学院への比重が大きくなる。イギリスは相対的に学部よりのようにも感じるが、LSEのような大学になると、そもそも海外からの学生がほとんどなので、感覚がグローバルになり、院生オリエントな考え方になるようにも思う。その結果、LSEを卒業しておくと、対外的には、LSEという学歴が残る。国内にいるときは、慶應卒として、「日本人的な日本人」というイメージを出しつつ、海外にいるときは、LSE院卒として、「グローバルエリート」という印象を与えることができる。また、日本人には、日本の一流大学×世界の一流大学院という組み合わせは受けがいいため、シナジー効果が生まれるだけでなく、自分の価値を上手く使い分けることができる。加えて、MBAをグローバルトップ10くらいまでで取れれば上出来だと言えよう。MBAの名門でいうと、アメリカであれば、ハーバード、スタンフォード、ウォートン、ケロッグ、コロンビア、シカゴ、MITといったところで、最近のシリコンバレー人気によるハース(UCバークレー)のランキング上昇が著しい。だいたいこの8校が名門で、ヨーロッパでは、世界ランキング1位のINSEADから, LBS, IESEあたりが人気なように思う。最近はオックスブリッジもビジネススクールランキングを上げてきたが、名門と呼ぶには少し遠いという印象だ。 ただ、日本の大学は、これから苦しくなることが目に見えている。というのも、日本の大学のアカデミックレベルが高いか低いかというレベルだけにとどまらず、専門職大学院の整備にも戸惑っていることにもある。また、少子化による、受験生の減少も避けられない。実は学部生レベルでは実際には留学生を増やすことはあまり必要がない。むしろ、大学院教育をどうするかが今後の課題であろう。日本の高等教育は大学院教育があまり整備されていないように思えてならない。確かに、理系の学生の能力は高いし、ノーベル賞級の学者が多数輩出されていることを鑑みると、一見安泰のように見えるかもしれないが、将来的にはそれが立ち行かなくなるであろうことがわかる。また、社会科学の全体的なレベルの低さが致命的であるように思う。日本の社会科学のレベルは壊滅的なレベルで、国際的な論文で日本の学者の名前を見ることは殆どない。数式を使うような領域であれば、日本人の名前が出てくることは大いにあるのだが、ディスクリプションが主になる領域では、世界の一流の雑誌に載ることはまずないし、載っていたとしても、それは日本の大学にいない学者が多い、または、引き抜かれている。世界の一流大学では、人材に投資することが普通である。ラボごと引き抜きを行い、その教授の所属大学名で論文をパブリッシュすることで、大学の学術レベルを高め、世界ランキングに顔を出し、そして、優秀な学生を世界から集める。ということを行っている。大学のブランディングは当局にとって重要なものであり、神経をとがらせている。日本の大学も負けじと行っていると思うが、グローバル化の遅れからか、制度が整っていないように見える。また、資金力があまりに違いすぎることも一つの要因だろう。いかに投資収益を増やし、また、授業料を500万程度に上げ、数千万で人気教授を引き抜き、大学の環境を整えていくか。それが重要であるように思う。 言うは易し、行うは難しであるのだが。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2016-04-15 09:56
| 教育
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2016年 03月 10日
![]() 学部時代の就活のことを思い出すことがあったので、書いてみたい。たまたま、「ニュースピックス」というキュレーションアプリがあり、基本的に経済系のニュースを見ることができる。最近は就活特集なるものをやっており、大学のメールアドレスを持っていれば就活の情報を収集できる。この編集長は個人的に知り合いであり、学部時代にお世話になったので、非常に感謝している。 SFC出身らしく?ちょっと変わった経歴で、確か、慶應の総合出身(竹中平蔵研究会)で、投資銀行(確かゴールドマンだったと思う)内定を得ていたものの、内定者インターンで数字を常に使うこの業務にあわなかったことから、ギャップイヤーを取り、ロンドンで語学学校に通ったりするなどした後、東洋経済新聞社に入社。在職中にスタンフォード大学修士に経済で入学したものの、政治系にも興味が湧き、最終的には国際政治経済専攻として卒業。その後は、東洋経済オンラインという新事業に参加し、実績を上げ、数年前に転籍。といった経歴だ。彼の著書、「米国製エリートは本当にすごいのか」という本があるので、本屋で立ち読みしてもいいと思うし、買ってみてもいいと思う。 小泉政権時代以前とその後に竹中平蔵研究会(エコノメトリクス)があった/あるのだが、小泉政権前の竹中研はスーパー優秀というイメージがある。当時はゴールドマンなどの投資銀行に入る人間や起業する人間が多かったし、SFC出身でハーバードやスタンフォードの大学院に行っている人間は当時のここの研究会出身が多いように思う。今はわからないが、そういうレベルの人はいない、もしくは少ないんじゃないかなと。まぁオックスブリッジくらいだと割と受かりやすいので、結構どこの研究会出身でもいる気がするけど。LSEはそもそも知名度が低いので、受ける人があんまりいないと思う。別に知っててほしいという気持ちもないので、別にLSEを知ってようが知ってまいがどうでもいいが。 さて、日本の就活だが、批判が殺到する「新卒一括採用」に関しては僕はあまり興味がない。その理由は2点だ。(1)新卒一括採用やめたら、優秀じゃない人間は就職できないんじゃないか?って思ってる。みんな一括で動くから、みんなちゃんと就活というものをイベントとして捉えて、職を得ているんじゃないのか?そう思うからだ。(2)海外の大学にいても、憧れのインベストメントバンカーとかコンサルタントになろうと思えば、就活しないといけない時期なんて決まっているし、その時期を逃したら、就職なんてできないぞ?って思う。しかも、インターンをとるまでも大変なのに。日本なんて、真の意味で新卒一括採用をやってるかというと、別にそうでもないし、外資なんてそもそも一括採用とは言えず、自分たちの好きな時期に好きな人数とかちゃんと取ってるじゃないかって思ってる。加えて、BCFなど様々な時期に就活フェアもある。つまり、いうならば、日本の方が明らかに「選択肢が多い」と僕は思うので、この議論は意味がないと思っている。少なくとも僕がする意味はないかな。 では、何に僕が興味を持ったかというと、「日本の学生の選択」である。日本の学生全般に思うことだが、基本的に上昇志向があまりないことに加えて、トップ層が少ないなと思う。せっかく能力が高いのに、どうしてもっといいところを受けないのか。と思うことも少なくない。つまり、学生全般に自信がないよなと。こちらにいる感覚でやってると、普通に慶應くらい出てれば余裕で能力的には世界のどこでもやっていけるよって思う。東大の処理能力があれば、どこの大学の学生よりも処理能力は高いと思うけど。そう思うのは、自分が日々アイビーリーグ(アイビーじゃないけど、スタンフォードも)から来る人間たちと机を並べて勉強してみて、とか、フラットメイトとして生活していて、能力的に普通だなって思うことが少なくないからだ。もちろんすごいやつはすごいし、他のアメリカの大学から来る人間たちとは雰囲気も話のまともさも違うのは明白だけど。あと、スマートだなって思う。 で、そんな感じなのに、ニュースピックスを見ると、一番人気は三菱商事。もちろん、三菱商事はいい会社だと思う。世間体も福利厚生もいいし。知り合いも結構いるけど、いい人多いよねと。でも本質はそこじゃないだろって思う。日本の学生はもっと挑戦した方がいいかな。というのも、こちらで一番人気のゴールドマンというと、学生の頂点というイメージがあるし、それを目指してみんなが努力するという構図だ。狙えるなら上を狙う的な。日本だとどうだろうか?少なくとも上位の学生で三菱商事を狙う人は、基本的にマッキンゼーやゴールドマンなどの外資系のトップでやっていく自信がなくて、なんとなく安全パイの三菱商事を狙ってないか?って思うことがほとんどだからだ。周りでかなり優秀な日本人学生は間違いなく、そもそも三菱商事なんて受けずに、マッキンゼーあたりを秋口で受けて内定とって、次のステップに行くための準備をしていたりする。本気でキャリアのことを考えるんだったら、確実に自分の性格に合わせて、マッキンゼーなどのコンサルか、ゴールドマンとかの投資銀行を受けるのがいいんじゃないかと。あと、安定した生活をすることを考えて思考停止するのではなく、本当に自分のやりたいことは何なのか?を日本の学生には考えてほしい。それでも三菱商事になるんだったら、それでいいと思うし、そこに進めばいいと思う。 自分の本質はなんなのか?そこが重要じゃないかな?人生ってさ。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2016-03-10 19:35
| 大学時代
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2016年 03月 08日
![]() 将来的に何をしたいのか、それを決めていかないといけない段階にある。今LSEで学んでいるし、勉強にも集中しなければならない状況にあるのだが、同時に自分が何をしなければならないのかを決めていかなければならない段階にある。自分自身、まだまだ時間があると思い込んでいたものの、あっという間に3月になっているし、それも中盤に向かっている。何もかも早めに計画を立て、実行していかなければならない段階にあるように思う。この調子だと、1年、2年、3年というのはあっという間に過ぎ去ってしまうだろう。 しかしながら、自分の場合、人よりも短期的に何をするのかということがある程度明確になっているため、それに向けて着実に努力することが必要になる。これがなければ、人生をダラダラと過ごしてしまうことになりかねないし、色々と怖いと思う面も少なくない。それに、いかに早く成長するかが重要になってくるこのご時世で、計画を立てることなしに何もかもやってしまうのは致命的なように思う。 3年、5年、10年、20年と、自分のやりたいことを追って計画を立てていく。自分は最初はボトムアップ、つまり、自分のやりたいことをとりあえずやっていれば何かが見つかっていくだろうと思っていた。しかし、それでは何も見つからない。常にアンテナを張り巡らし、将来何をやりたいのかと自分の今やるべきことの両方を掛け合わせることによって、高い成長を維持していけるんじゃないか、そう思っている。結局、自分の場合は目標を常に立てていなければ、何をしていいのかよくわからなくなるし、何をすべきなのかも不明確で曖昧なものになってしまう傾向にあるように感じた次第だ。 これからやらなければならないことは沢山ある。グローバル化する流れの日本にあってまだまだ「株主資本主義」というものをもう少し浸透させていかなければならないのではないか、また、経営のスリム化、細分化というものが必要なのではないか。経営とファイナンスを理解した経営を当たり前の環境にしていかなければならないのではないか、そんな風に思っている。これまで日本は日本市場の大きさ、成長性から海外に目を向けなかったとしてもある程度のキャッシュを稼ぐことができていたように思う。しかし、近年の急速に進む少子高齢化による経済成長の頭打ちから、海外市場に目を向ける必要性が出てきているし、既にクロスボーダー案件なども近年増加しており、実際に、M&A市場は過去最高を更新し続けているように思う。ただ、まだまだ道半ばだ。これからM&Aや投資を通じた海外進出が増えていくかもしれないが、それと同時に、その妥当性を示せるような、つまり、株主の期待に沿うような形の戦略案件の実行を忠実に行っていく必要があるように思える。 グローバル化(マーケットを日本だけでなく、世界と捉えるとここでは定義)というのは、単に唱えるだけではなく、実行しなければならないものだ。多くのメディアや人の発言を聞いていると、「人材」や「語学」が重要だと思っている人が多い。もちろん、グローバル化に伴って人や語学が重要なのは間違いない。しかし、それだけでは不十分に感じる。グローバル化を本気で目指すのであれば、「制度」を変えていかなければならないように思う。要は、一株あたりの利益をいかに伸ばすか、つまり、企業価値をいかにあげるか、について考え、それを実行しているのかを明確にされた状態として見れるような形にしていることを明確にする必要がある。日本で考えられるのは、まだまだファイナンスを意識した経営をしっかりと行えているのか、そう疑問に思える瞬間が多々ある。もちろん、近年のプロ経営者の登場や戦略としてのM&Aの一般化(まだまだだが)、ファンド出身者の経営者への転身(それも大企業へはあまり見ないが)というものを通して、経営とファイナンスを意識したマネジメントが行われてきている。だが、今の状態ではグローバル水準には程遠いのではないかと思う。もちろん、近隣諸国と比較すると、日本の方が相対的に良いことは間違いない。しかし、経済大国の一国としてみたときにその状況はどうだろうか?その状況はまだまだ改善の余地があると言える。 ただ、ここ数年以内、少なくとも10年以内に日本の状況は様変わりするのではないかと思う。その状況を自分たちが作り出していくこと、また、将来LSEの卒業生としても社会に対して還元していく必要があると感じている。クライアントを抱えた状態であれば、いかに自分が株主資本主義を浸透させていくか、が重要になり、経営者としてマネジメントに携わるのであれば、いかに株主の意向に沿う形(企業価値を上げる)で経営を行っていくかが、これから来る本格的なグローバル社会に対応していくためのキーファクターになるのではないかと僕は考えている。 日本社会は高いポテンシャルを持っている。それを生かすも殺すも自分たち次第であるし、いいところを見るだけではなく、改善すべき点にもきちんと目を向ける必要がある。その改善すべき点をいかに認識し、実行していくかが自分たちの役目であると僕は少なくとも思っている。
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by lse_keio_sfc
| 2016-03-08 18:21
| 将来
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