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2017年 01月 31日
![]() (大学の学食が懐かしいですね:上は学食のイタリアン) とは言え、私は特に何を勉強していたのかすら覚えていないレベルに近いです。その程度のことしかやっていませんし、そもそも授業も適当にしか受けていないので(楽単のパターンを覚えるとか、Ωやθの一番後ろの席を取ることを一番の目標にしているとか等)、大学関連で勉強したのがなんだったのか思い出すこともあまりないように思います。唯一ゼミだけはほとんど出席していました。それ以外は何をやっていたかというと、文化的産物に関する会話をよく行っていたように思います。学部の性質でもありますし、友人との趣味の共有もあって、旅行、建築、音楽、インテリア、ファッション、芸術など、文化こそが人生を豊かにするのだとより強く感じたのが大学時代でした。また、そうした感受性の高い時期に本もたくさん読みましたし、海や山の美しさに心を打たれたり、友人と授業の合間にゴルフをしたりしていたのを覚えています。派手に遊ぶときは派手に遊びますし、やるときはやる、という風に切り替えをうまくなんでもマルチタスクで行うということを身につけたのもその時期だったのかもしれません。 大学時代は何をしても良いとは思いますが、文化的なことに時間を使っておくと、後々の感覚の充実に寄与するように思いますし、その経験がロンドンの生活を色鮮やかに彩っていたように感じました。ロンドンでの生活は学部時代の友人もよく遊びにきていましたが、私の朝の習慣を見て、「お前は貴族みたいな生活をしているな」と言われていたのが印象的でした。お金をかけているわけでもなく、自分のしたい文化的な生活を心がけていただけでしたが、大学時代の経験がそれをアクセラレイトしたのかもしれません。 大学時代はかけがえのない友人や習慣に出会い、また、それを発展させたことにより、プライベート側の人生は充実しているように思います。日々に忙殺される時も文化的な生活を心がけることにより、心の平静さを取り戻すきっかけを得られるように思います。大学時代はそうしたことにお金や時間を使ってもいいように思います。 それが人生を感覚的な意味で豊かにすると私は信じることができるかもしれません。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2017-01-31 23:38
| 大学時代
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2016年 07月 16日
最近色々と面白いことがあった。世界中どこを旅したとしても、LSE関係者になぜか会うことになったり、レピュテーションのために過剰なくらいの評価を受けることも多い。また、世界中にLSE時代の友人や知らなかったけれども、LSEつながりで友人の友人に会うことも少なくなく、日本の大学を卒業しただけではできなかった人脈ができている気がする。
そんな状況下にある自分だが、同時に大学時代の友人もイギリスやヨーロッパに来ることが本当に多く、院生になる人間も少なくない感じになってきた。結局大学時代の人間は結局同じようなことを考えるために、同じような進路になっていくのだろうと感じている。大抵、アカデミック系はオックスブリッジかLSE。芸術系はセントマーチン、RCA。MBAだとLBSやINSEADあたりか。最近はオックスブリッジのMBAも人気が上がっているらしく、友人たちも選択肢の一つとして考えているようだ。 こういうのが当たり前の環境なんだなと感じることも多い。友人達がよい進路に行くことはよいことだし、のちの人脈や情報、価値観の共有ができる為、今後より楽しみであることは間違いないなと。
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by lse_keio_sfc
| 2016-07-16 21:20
| 大学時代
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2016年 06月 07日
最近学部時代のつながりが意外と重要だと感じることが多い。特に、ゼミのつながりはかなり必要なものだとつくづく感じさせられる。学部生時代のゼミの人間が、普通に投資銀行やコンサル、財閥系商社、マスコミ(電博やキー局)などにいくことは珍しくない。また、最近ゼミの同期とイギリスの大学院進学のためにイギリスで再会することになったりと、色々つながりがあるなと。
また、大学院進学にしても、僕やその同期のようにイギリスの名門校に大学院の進学で来ることもあれば、ハーバードやコロンビアの大学院や研究機関に留学していたりして、当たり前の世界が広がりつつある。学部生の時は興味に従ってゼミに所属しているだけだったのだが、そのゼミに所属していたおかげで、先輩をたどり財閥系商社のOB・OG訪問も何十人もすることができたし(一応非財閥系もいるが、大半は財閥系)、海運やメーカーも興味のあるなしに関わらず、人事採用担当などにいろいろ事業内容などの情報収集が容易にできた。たまに、こうした企業のゼミの先輩が僕らのゼミ生だけのためにキャンパスに来て、企業説明会や懇親会を開いてくれたりもしていた。こうしたつながりというのは大事にすべきだよなと思う次第である。 大学時代はそんなに周囲が活躍するとは思わなかったのだが、気づくと人脈だけで何となく情報が入るようになってきている。LSEに来ても同様で、特に利害関係なく付き合っていた人間がいつの間に活躍するような段階にいるし、将来何をベンチマークにして生きていくべきかを考える負担が少なくなりつつある。学歴というのも一理あるが、進学するインセンティブはこうした人脈であるようにも思う。また、ゼミのコミュニティというのが将来に渡ってこうしたコミュニティ形成に役に立つというのはゆめゆめ思わぬはずだが、大事にしておいたほうがいいのかも。 本当に人生何が起こるかは本当にわからないのだが、持つべきものは学歴というよりも、人脈なのかもしれない。とはいえ、学歴がつながりを生むことが多いので、学歴はその意味で必要なのかもしれないが。
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by lse_keio_sfc
| 2016-06-07 01:41
| 大学時代
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2016年 05月 09日
![]() LSEに来てみて、SFCで学んでいたことがつながってきた気がする上、自分の指導教授が何を言いたかったのか、それが今になってわかってきた気がする。大学で学んでいたことは無駄ではなかった。そんなことを考えた数日であった。 結局、修士に進学して、学際というか、自由に何でも勉強できる環境から、ある程度のディシプリンに制限した環境に来たイメージだ。学部時代は現代風のリベラルアーツ教育から先進的な特定の分野にフォーカスした教育へと変わってきている。その中で学部時代、SFCでの学びとLSEに来てからの学びの違いを比較して、何を意識して勉強すべきかをSFC生向けに提示しておきたい。おそらく、これが将来の学びにつながるはずだ。大学時代の指導教授や、ロンドンでお世話になった現SFC教授などなど、London School of Economicsというトップスクールにいるものとして、僕に先輩として後輩にしてあげてほしいということを言っていただいたので、僭越ながら、サジェストしておきたいと思う。 さて、まず、SFC生に言いたいこととしては、「SFCの学部で勉強するべきことは、”何に興味があるのか”を決める場であり、”何を勉強したのか”を決める場ではない、ことを知る」である。つまり、どういうことかというと、SFCの学びというのは、勉強したというレベルに程遠いといったところだ。教養レベルとして学んでいるだけであって、専門性を高められるような場所ではない。結局、大学院に進学してから、自分の勉強したことがわかるようになるという感じだ。ただ、死ぬほど勉強してほしい。また、わからないことがあれば、大学の教授でもいいし、外部の教授でも良い。わからないことは仮説を立てて、検証するために、一流と思しき人間を使えるだけ使おう。とにかく思考を磨く。塾生とわかればいきなりダイレクトメールを送っても断られることは少ないし、断られたとしても誰かは必ず助けてくれる。SFC生なら行動力的にできると思うし、慶應のブランド名は使えるだけ使ったほうが便利だ。社会人になったら簡単にアクセスできないので。 SFCの学部生時代、僕は政治学を勉強していたものの、自分が何のディシップリンを勉強しているのかわからなかった。政治思想や経済学的視点、社会学的視点など、マクロ的な政策を勉強するには、こうしたフレームワークが必要になるはずなのだが、これらはLSEに来て初めて知ったことになる。これは大学時代の教授が悪いということではなく、教授が「学部生なんだから、僕の視点に染まらずに、自分で自由に考えて欲しい」という話をしていたことから、こうした何も知らないまま、単純に”政治”を学んだ状態できた。ちなみに、僕の指導教授はAmerican Political Science Associationという、世界でも一流の学会に所属しているし、頻繁に研究発表も行っている。また、最短とも言えるようなスピードで教授になった方であるので、単純なフレームワークを知らないはずがないように思う。結果的に僕とはアプローチが異なるので、こうした教授の視点を押し付けられなかったことが、今感謝することになるとは思ってもいなかったが。 要はどういうことかというと、”学部生はあくまでも学部生”に過ぎない。結局、考える枠組み、フレームワークをほとんど知らないまま卒業していく。修士以上を卒業しないことには、使っていた頭をより高度化することはできない。また、世界で一流の教育機関で勉強しないことには、将来”ガラスの天井”にぶち当たる。つまり、成功できる可能性はより低くなる。日本ではどういうわけか、「大学院に進学すると、理系以外は就職が悪くなる」という考えを持った人間が多数いる。しかしながら、これは200%間違いである。できる人間であれば誰でもとりたいし、現にLSE修士からはトップティアの外資系投資銀行、外資戦略コンサルに就職する人間が多数いる。これは外資しか行けないのではなく、スペック・キャリア志向的に”外資しか行かなくなる”からである。 周囲の人間は大して成功しない人間だと思って、信用してはいけない。しかし、同時に自分も大したことない人間として考えることも忘れてはいけない。今は周囲が高いレベルの人間だと思っているかもしれないが、正直、グローバル基準で見れば、大したことない。けれども、大学時代の友人はかけがえのないものだし、一緒に遊んだり、残留を共にするのがいいだろう。要は、周囲を見下す精神ではなく、”上を見ることが大事”だということだ。上を見て、人よりも数倍努力し、可能な限り、周囲の人間、特に後輩にはいろいろ教えてあげられるようになる。Give & Giveの精神で、見返りはこれっぽっちも求めない。”教えてあげる”という精神ではなく、”相手にとって最良のアドバイスをすることが自分の成長につながる”という精神が必要だ。つまり、福沢諭吉先生の提唱した「半学半教」の精神を持って、相手に接すること。それが何よりも自分の成長にとって大事だと思う。見返りは人からではない。自分の考え方の結果である。 つまり、SFCが全てではない。もっとマクロな視点、高い視座を持って行動しろということだ。より上には上の世界がある。ここで立ち止まるのではなく、より高みを目指していくべきだし、もっとできるだろう。僕はそう思っている。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2016-05-09 19:28
| 大学時代
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2016年 04月 03日
![]() 同じ学部の先輩が今年から慶應に教授職で帰ってくるみたいだ。僕がLSEに入学する前にお世話になったこともあり、親近感があり、かつ尊敬できる先輩だ。 彼は慶應時代に会社を3社経営した後、エグジット?を行い、就活。その後、新卒でマッキンゼーに入り、東京支社とフランクフルト支社に所属。プロジェクトでドバイにも長期滞在?したとか言っていたように思う。退職後、オックスフォードのサイードビジネススクールに留学。彼の場合は、MBAではなく、マネジメントスタディという、アカデミックな部類だ。そこでDistinction(最優等)をとり、博士課程に進学。ポスドクなどを経て、立命館で准教授をしていたものの、今年の4月からSFCに帰ってきた次第だ。 在学中に会社を経営するとか、”いかにも”SFCというイメージだが。SFCというと、帰国子女と起業とインターネット、というイメージが強かったように思う。人に会えば、ボーディングスクールとか、インター出身とかそんな感じだ。日本の学校出身だと僕が会ったのは名門校ばかりで、開成麻布やフェリス、渋幕渋々あたりを結構見た気がする。あとは地方の名門校とか。バックグラウンドも結構面白くて、ハーフとか日本育ちの外国人が結構多く、純粋な日本人とかはあまり多くない?感じだったかも。LGBTにも寛容で、みんな気にしない感じで、環境が外国に近かったように思う。問題はできる奴は超人か天才なのか?と思うくらいできるが、ダメな奴はとことんダメになる環境だ(1%と99%)。すごいやつというと、スポーツの日本代表とかオリンピックに出場するというのは比較的普通にあるのだが、それ以外には、コーディングの世界大会で優勝とか準優勝する的な奴もいるし、数学か物理オリンピックかで結果を残し、ハーバードやMITに推薦がきたような奴もいる(当時天才で有名だったかも)。あと、有名になった灘の天才とか。割とアイビーリーグに合格して蹴ってきてるというのは普通だったかも。逆は慶應以外に何も取り柄のない奴らだ。地方出身で一般入試で入った人間が陥りやすいかも。 さて、先輩の話に戻るが、勉強起業と先輩はしているが、それ以外にも、ヨットマスターというものを持っているらしい。これを持っていると、イギリスでかなり尊敬されるようだ(あくまでも先輩の話です)。この先輩はかなり気さくで、ちゃんと指摘すべきことを指摘してくれるし、僕もかなり厳しいことを言われた。普通に就職活動があり、相談に乗ってもらっていたところ、僕はプロフェッショナルファームに行きたいという話をしていたのだが、その際に、「マッキンゼーは今の状態だと無理だけど、三菱商事くらいならいけるんじゃないかな」とか「別にマッキンゼー入りたいなら、三菱商事からMBA挟んだらいいじゃん」とその当時言われ、全くもってその通りなのだが、ものすごく悔しい思いをした。新卒でプロフェッショナルファームに入り、その後のキャリアを充実させたい自分にとっては、新卒で商社に入りたいとも思っていなければ、中途でそうした企業に入りたいとも思ってはいない。その時にそう言った指摘を受けたことは自分の挫折を味わうような出来事だった。しかし、その悔しい思いをしたからこそ、自分の理想としている職業に就こうとしているのだが。あの時にあれだけ言われなかったら、そこまで頑張っていなかったかもしれない。はっきり自分のことを否定してくれる人こそ、大事にすべきだろうと僕は経験上思う。 付け加えるが、このようなロールモデルになるような大学の先輩がいるからこそ、当時、博士課程も目指してみたいと思った。実務から博士課程とか、ビジネスで博士号とか大学入学前まで考えたこともなかった。また、先輩がハーバードやINSEAD, WhartonのMBAに当たり前のように行っていたり、投資銀行やコンサルからプライベートエクイティやベンチャーのCFO、起業してIPO、などなど、いろんな選択肢があった。自分とは分野は別だが、コロンビア大学の建築大学院卒業後に建築事務所を持っていたり、ハリウッドの映像制作に関わっている人もいる。また、別の人間でいえば、ハーバードの医学部で研究員、俳優女優、ミュージシャン(KREVA, Radwimps, 一青窈など、ちょっと古いか?)をしている人もいるわけで。政治家とか外務省とかももちろん多い。そして驚くべきなのは、これは大学ではなく、すべて同じ学部だ。 そうした選択肢を考慮した結果、自分に最も合っている選択肢を選び出すことができた。自分もある意味これまでにない選択肢の学生なので、自分が後輩の一つのロールモデルになれるよう、先輩として頑張れればいいなと思う。
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by lse_keio_sfc
| 2016-04-03 21:01
| 大学時代
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2016年 03月 10日
![]() 学部時代の就活のことを思い出すことがあったので、書いてみたい。たまたま、「ニュースピックス」というキュレーションアプリがあり、基本的に経済系のニュースを見ることができる。最近は就活特集なるものをやっており、大学のメールアドレスを持っていれば就活の情報を収集できる。この編集長は個人的に知り合いであり、学部時代にお世話になったので、非常に感謝している。 SFC出身らしく?ちょっと変わった経歴で、確か、慶應の総合出身(竹中平蔵研究会)で、投資銀行(確かゴールドマンだったと思う)内定を得ていたものの、内定者インターンで数字を常に使うこの業務にあわなかったことから、ギャップイヤーを取り、ロンドンで語学学校に通ったりするなどした後、東洋経済新聞社に入社。在職中にスタンフォード大学修士に経済で入学したものの、政治系にも興味が湧き、最終的には国際政治経済専攻として卒業。その後は、東洋経済オンラインという新事業に参加し、実績を上げ、数年前に転籍。といった経歴だ。彼の著書、「米国製エリートは本当にすごいのか」という本があるので、本屋で立ち読みしてもいいと思うし、買ってみてもいいと思う。 小泉政権時代以前とその後に竹中平蔵研究会(エコノメトリクス)があった/あるのだが、小泉政権前の竹中研はスーパー優秀というイメージがある。当時はゴールドマンなどの投資銀行に入る人間や起業する人間が多かったし、SFC出身でハーバードやスタンフォードの大学院に行っている人間は当時のここの研究会出身が多いように思う。今はわからないが、そういうレベルの人はいない、もしくは少ないんじゃないかなと。まぁオックスブリッジくらいだと割と受かりやすいので、結構どこの研究会出身でもいる気がするけど。LSEはそもそも知名度が低いので、受ける人があんまりいないと思う。別に知っててほしいという気持ちもないので、別にLSEを知ってようが知ってまいがどうでもいいが。 さて、日本の就活だが、批判が殺到する「新卒一括採用」に関しては僕はあまり興味がない。その理由は2点だ。(1)新卒一括採用やめたら、優秀じゃない人間は就職できないんじゃないか?って思ってる。みんな一括で動くから、みんなちゃんと就活というものをイベントとして捉えて、職を得ているんじゃないのか?そう思うからだ。(2)海外の大学にいても、憧れのインベストメントバンカーとかコンサルタントになろうと思えば、就活しないといけない時期なんて決まっているし、その時期を逃したら、就職なんてできないぞ?って思う。しかも、インターンをとるまでも大変なのに。日本なんて、真の意味で新卒一括採用をやってるかというと、別にそうでもないし、外資なんてそもそも一括採用とは言えず、自分たちの好きな時期に好きな人数とかちゃんと取ってるじゃないかって思ってる。加えて、BCFなど様々な時期に就活フェアもある。つまり、いうならば、日本の方が明らかに「選択肢が多い」と僕は思うので、この議論は意味がないと思っている。少なくとも僕がする意味はないかな。 では、何に僕が興味を持ったかというと、「日本の学生の選択」である。日本の学生全般に思うことだが、基本的に上昇志向があまりないことに加えて、トップ層が少ないなと思う。せっかく能力が高いのに、どうしてもっといいところを受けないのか。と思うことも少なくない。つまり、学生全般に自信がないよなと。こちらにいる感覚でやってると、普通に慶應くらい出てれば余裕で能力的には世界のどこでもやっていけるよって思う。東大の処理能力があれば、どこの大学の学生よりも処理能力は高いと思うけど。そう思うのは、自分が日々アイビーリーグ(アイビーじゃないけど、スタンフォードも)から来る人間たちと机を並べて勉強してみて、とか、フラットメイトとして生活していて、能力的に普通だなって思うことが少なくないからだ。もちろんすごいやつはすごいし、他のアメリカの大学から来る人間たちとは雰囲気も話のまともさも違うのは明白だけど。あと、スマートだなって思う。 で、そんな感じなのに、ニュースピックスを見ると、一番人気は三菱商事。もちろん、三菱商事はいい会社だと思う。世間体も福利厚生もいいし。知り合いも結構いるけど、いい人多いよねと。でも本質はそこじゃないだろって思う。日本の学生はもっと挑戦した方がいいかな。というのも、こちらで一番人気のゴールドマンというと、学生の頂点というイメージがあるし、それを目指してみんなが努力するという構図だ。狙えるなら上を狙う的な。日本だとどうだろうか?少なくとも上位の学生で三菱商事を狙う人は、基本的にマッキンゼーやゴールドマンなどの外資系のトップでやっていく自信がなくて、なんとなく安全パイの三菱商事を狙ってないか?って思うことがほとんどだからだ。周りでかなり優秀な日本人学生は間違いなく、そもそも三菱商事なんて受けずに、マッキンゼーあたりを秋口で受けて内定とって、次のステップに行くための準備をしていたりする。本気でキャリアのことを考えるんだったら、確実に自分の性格に合わせて、マッキンゼーなどのコンサルか、ゴールドマンとかの投資銀行を受けるのがいいんじゃないかと。あと、安定した生活をすることを考えて思考停止するのではなく、本当に自分のやりたいことは何なのか?を日本の学生には考えてほしい。それでも三菱商事になるんだったら、それでいいと思うし、そこに進めばいいと思う。 自分の本質はなんなのか?そこが重要じゃないかな?人生ってさ。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2016-03-10 19:35
| 大学時代
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2015年 11月 28日
![]() 学生生活でやり残したことはあるか?そんな風に聞かれることは多くはないが少なくもない。結論から言うと、僕が学生生活でやり残したと考えるようなことはないと思う。学部、修士を通して自分の挑戦したいことに全て挑戦してきた。妥協なく全て。 大学入学前はやりたいことなんて無限にあったし、実際、自分のやりたいことがなくなってしまうなんて夢にも思わなかった。厳密に言えば、やりたいことはあるのだが、ただ、それは今の状況ではできることではない。キャリアを通してとか、一定の要件を満たさなければ達成できないことである。それを除けば特にない。つまり、学生生活で自分がやりたいと思ってやってきたことは全て終えてしまった。そんな風に思う。 おそらくそんな風に考えている人はごく少数ではないだろうか?多くの人はやりたいことがあっても、面倒くさいとか、失敗するのが怖いとか色々考えてしまって、結局行動に移せない場合が多いのではないだろうか。僕の場合、そもそも失敗しかしていないような人生であるので、失敗したとしても気にしないし、いかにその失敗から学び、次に活かすべきか、という思考をしている。そのことから、常にチャレンジできるような姿勢があるのではないかな、と考えている。 その姿勢があるからこそ、今の自分がいるし、周りもいる。姿勢なしに自分のやりとげたいことを成し遂げることはできない。夢や希望があっても、それにたどり着かない。上には上がいるし、自分よりも賢い人間はいくらでもいる。その中でどうやって自分が自分として存在しうるのだろうか、また、存在するべきなのだろうか、と考えることも少なくない。そう考えると、自分なんて他の人からすれば全く気にされないという程度ではないかもしれないが、しかしながら、極論で言えばどうでもいい人間なのだと思う。だからいくら失敗していても、自分の思っている以上に周りは気にしていないし、ぶっちゃけどうでもいいと思っていることも多いように思う。そう開き直って常に挑戦し、失敗し、失敗から学び、成功を得ていく。そんなことが重要じゃないのかな、と自分的には思うし、実際にそう取り組んできたからこそ、やり残したことはないと言えるような状況まで来たのだろう。 学生時代にやり残したことがない。それは自分がリスクを取って常に挑戦してきた。その証左なのかもしれない。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2015-11-28 11:33
| 大学時代
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2015年 09月 02日
最近は友人たちとコンタクトを取ることが多くなった気がする。コンタクトを取りながら感じることは、「マトモ」だな、ということ。皆頭の回転が早く、考えも本質的かつ将来のこともちゃんと考えている人間ばかりだ。日本にいたときの自分がいかに恵まれていたかがわかる。日本にいるときはそれが当たり前だし、それに飽き足らずにこちらに来た。しかし、現状では自分の必要条件を満たしていないように感じる。というのも予想よりもレベルが高くない。本質的でない話を延々とされると楽しくないし、エキサイトしない。これは学術系の修士プログラムではありがちなパターンらしく、同じくアメリカのHYPSの一つに行った人も同じことを言っていた。ただ、ハーバードをはじめとするトップのMBAに関してはそんな感じではないらしく、今一度MBAに行くべきだと感じる次第である。
さて、友人と話すときだが、生きている感じがする。自分が発言する言葉以上に意図を読み取り、こちらの予想以上の回答で返してくる。また、彼らの使う言葉が高度に洗練されているため、自分を見直し、友人たちよりも成長しなければならない、そう思わさせられる次第である。ダラダラ話さない、話したいことをきちんと整理して話す。相手の興味あるトピックやキャッチアップしたいと思わせるようなトピックを事前に用意し、話せるようにしている。そんなことは当然だ、そう思っていたが、こちらに来ると、思った以上にそれができない人が多いのではないか、そんな風に思わさせられる。 ただ、周りは周り。自分は自分。それは常に忘れてはならないように思う。自分のピアのレベルをどれだけあげるか、それに自分は興味がある。自分のコースはHYPSやUC Berckeleyなど、US系のトップ校がマジョリティーだ。彼らはどのようなレベルなのだろうか。期待したい。 ▲
by lse_keio_sfc
| 2015-09-02 05:34
| 大学時代
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