2017年 03月 12日
LSE修士での専門性? |
LSEで修士以降で勉強していると、当たり前ですが、お互いが専門的な勉強をしているせいか、お互いのやっていることが全くわからない、ということが普通に起こります。例えば、おそらくこのブログを読んでいる方は他の方のブログも読まれているかと思いますが、その場合、専門的に書いていると、正直さっぱりわからないのが正直なところです。しかしながら、それが逆に言えば良いところでもあるようにも思います。
社会科学という領域はわかりやすいようで、実際のところは専門性が高くなると、相手のことは全くわかりません。同じ学部にいたとしても、少し領域が異なると理解できないことも多々あるくらい専門的な勉強と言えます。日本の経済学研究科や法学研究科などを除く一般的なソーシャルサイエンスであれば、少なくとも私の学部生の時にいた院生の研究は”少々マニアックなことをやっているな”という印象になりがちでしたが(学部生の場合は私を含め若干ミーハー的な側面も否めません)、こちらの場合は、”専門的な勉強・研究をしている”という印象になります。というのも、こちらはグローバルで共有されている価値観や論調をきちんと教えてくれますし、どの著者のどの議論がどのレファレンスに書かれているのかが明確です。そのため、「〇〇を勉強した」と言えば、「じゃあ〇〇のxxの議論で△△の批判があるのはわかるよね?」という感じになります(逆に言えば誤魔化しが一切効きませんし、レファレンスを与えられていて知らなければできない奴というレッテルを貼られるのは確定です)。
こうしたレファレンス能力は大学院の勉強や研究に限らず、全ての領域で生かされるように思います。例えば、ファイナンスの勉強をしていても、どうしてもイントロダクトリーな書籍では対応できない部分や議論についていけないことがありますので、自分自身の発言に責任を持つという意味でも専門家の著名な著書に頼らざるを得ないように思います。その際に、紹介を受けながらも誰の書籍が良いのかをまず考えるようになります。そうすることによって、自分のアウトプットに自信を持てるようになると考えていますし、同時に安心できるようにも思います。本当に知識がきちんと整理されてないと赤っ恥を書いてしまうので、物凄くセンシティビティの高い業界であるとも感じる次第です(私は全然ダメダメなので、恥ずかしながら、もっと勉強しなければわからないことだらけです)。
非常に難解な問題ばかりを扱わなければならないと感じさせられる入口に修士はいるわけですが、それでも多々困難な部分があることは否めない気がします。若干似た経験としては、日本の学部からこちらの大学院に来た時の経験は普通のインターンと投資銀行のインターン(新入社員)を経験した時のギャップ並みでした。基本放置でできるのが当たり前みたいな雰囲気から始まるわけですが、正直、何も経験していない段階から入ると、何を言っているのかさっぱりわからない状態になります。できない自分を嫌でも見ないといけない瞬間というイメージでしょうか。今まで培って来た自信を木っ端微塵にされる瞬間が待っているように思います。
それで中途半端な知識をひけらかしてしまうと、専門家からは「わかってないな、こいつは」みたいになります(私のことですが笑)。勉強していると、自分がどれだけできないのかが明確にわかって来ますし、いかに教授が凄いのかもまざまざと見せつけられる次第です。そして、他の専門の勉強をしている方はみんなできて当たり前の如くやっているので、自分だけ出来ていないとかなりのプレッシャーになります。語学も最初のうちはネックになるし、生活に慣れていないという状況にも遭遇します。困難を脱出しようとして、質問しようと試みるわけですが、「何を質問すれば良いのかさっぱりわからない」「わからなさすぎて、このレベルであの教授に質問しても良いのだろうか?」ということにもなります(怒られない、自分で自分のスケジュールをコントロールできること以外はIBD初期に似た何かを感じます)。これを簡潔に言えば、「四面楚歌」の状態です。
全てが終わった後も「やりきった」という感覚はなく、「終わったけど終わってない」というイメージにはなります。つまり、先は遠いというわけです。しかも、終わったと言えば、嘘になりますし、当該領域の方にも失礼になるように思います。それだけ専門性の高い領域を学習して来たということかもしれません。そんな感じの環境なわけですが、やってみる甲斐はあるのかもしれませんね。そして理解が進めば進むほど、同僚も同様のことが起これば起こるほど、お互いの共有できる点は縮小していきますので、中々難しいと感じることになります。
ただ、専門性を突き詰める人間達がいるからこそ、余計なライバル視をせずにお互いにリスペクトできるという点があるかもしれません。むしろ、そのことが重要であると感じる次第です。専門性をとことん突き詰められる人間こそがLSEに来ていると感じますし、その姿勢を持って入学される方が重要なのかもしれません。
by lse_keio_sfc
| 2017-03-12 23:44
| LSE
|
Comments(1)