2017年 01月 19日
LSEのダークサイド |
名門校についてあまり語られない部分はダークサイドではないかと思います。名門校はポジティブにもネガティブにも影響を与えるかもしれません。ただ、このポジティブな要素もネガティヴな要素もどちらも人の感覚次第ではあります。こういった言い方をするのもなんですが、「満足度は個人の感覚で変化する」ということに終始するかもしれません。したがって、今回はネガティブ要素になる”可能性のある”ことについて言及したいと思います。
ネガティブとはそもそも何か?
これは個人の感覚だと思いますが、私の感覚では3点ほどあるように思います:
(1)競争が激しい
(2)何でもできて当たり前
(3)世間と感覚がずれてしまう
が一般的に挙げられる部分かもしれません。
競争が激しい
競争は激しくなるのは何となく想像がつくかもしれません。基本小さい頃から勉強もできて、スポーツとか文化芸術に慣れ親しんだある意味”コモディティ化された”人間と競争していることになります。LSEの場合、相対評価ではなく、絶対評価ではあるのですが、ピアのレベルが高いと少なからず意識はするかもしれません。LSEの修士に行くと気づきますが、LSEの学部出身の院生は基本見たことのない人が多いかと思います(イギリスだと、大学院で学部生時と同様の教育機関で勉強している方をほとんどみません)。もしかしたら他のコースにはいるかもしれませんが、少なくとも私のコースには全くおらず、大体アメリカ人と中国人で(全く多様性があるとは言えません)、基本アイビーか香港大や北京大などのレベルだった気がします。彼らはもちろん学部時代に高い成績を残しており、日々研鑽を積むことが常識になっているので、その中で日々を送る必要があります。感覚ベースではありますが、日本だと普通にトップ層の人間がゴロゴロいるようなイメージではありました。慣れれば普通、というか、特に気にしないのですが、慣れない最初は正直圧倒されます(課題でそもそも忙しいのでそんなことどうでもよくなります)。
何でもできて当たり前
感覚ベースではありますが、昔から勉強ができるのは当たり前?で、むしろ、それ以外の要素でもできて当たり前というような感覚を持っている人が多いような気がします。私の場合は特に勉強が得意とは言えるレベルではありませんので、元々課外で実績を残そうと努力していたのですが、こちらにいると、勉強もスポーツもでき、その上、多彩な趣味を持つ方もいます。しかも、あまり努力していないように見えるところが何でもできるように見える原因かもしれません。この中におりますと、割とプレッシャーも感じる方もいるかもしれません。
世間と感覚がずれてしまう
これが一番難点ですね。当たり前と思っていることが、当たり前ではないとみなされることは日常茶飯事でもあります。物事を見るファクターが重層的になり、判断基準も厳格化してしまうので、世間一般に良いと思われることでも、全くよく見えなかったり、クリティカルに考えてしまうことが多々あります。気づけばかなり気難しい人にもなりうるので、注意しなければならなくなります。もう一つは、生活ですね。ロンドンで生活していると何となく当たり前の基準が上がってしまって、良い生活が当たり前のように感じてしまう可能性は十分にあります(定義は人によるかもしれませんが)。
私の場合は全般的にLSEの経験は後先振り返っても、自分の感覚通りやれたので、後悔も満足も結局のところ予測通りと言えば予測通りだったのかもしれません。経験したいことも明確でしたし、したいことをやれた上、囲まれたい人間に囲まれた感じではあったので、終わって見た感想としては、ネガティブなイメージが全くないと言えるかもしれません(忘れているだけかもしれませんが)。
前述した通り、ポジティブもネガティブも個人の感覚によるように思います。私がポジティブなことはネガティブに感じる方もいるかもしれませんし、逆もしかりです。私の意見は”参考程度”にして、自分の感覚ややりたいことを重視するのが一番だと思います。
追記しておきますが、LSEはコースや学部、修士、博士と人のタイプが異なるかもしれませんし、人種構成もコースで全く違います。そのため、事実上、十人十色の学生生活かつ個人によってLSEの体験は異なるかもしれないということを伝えておきます。従って、私の意見だけでなく、幅広い意見を取り入れて見るほうがいいかもしれません。意見を取り入れた上で、LSEに行きたいと言って頂けるなら私個人としては幸甚です。
by lse_keio_sfc
| 2017-01-19 19:41
| 修士
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