2016年 05月 30日
ピカチューとアイデンティティと経済 |
香港人にとって、アイデンティティというのは一つの重要な要素のようだ。ピカチューのネーミングで香港と大陸中国との間でコンフリクトが起こっている。
South China Morning Postによると、任天堂がピカチューの広東語表記を普通話と同じ表記にしていることが今回の問題を引き起こしているようだ。大陸中国ではPikaqiuと発音するのだが、今回の香港人の主張としては、Beikaaciuという発音に変えろとのこと。一昨年あたりから、大陸中国と香港との間で強いコンフリクトが起こっている。今回の主張も、単にピカチューが問題なのではなく、ピカチューというキャラクターがあまりにもコンテンツとしてアジアに強い影響があるために、そのネーミング自体が香港人と大陸中国人を明確に区分けするという意味でも彼らにとって重要であると言えるのかもしれない。
大陸中国と香港との間のコンフリクトは大陸中国の政府が香港への影響を強めようとしていることから起こってきた。香港人は長らく”別の国”として扱われてきたことから、香港人としてのアイデンティティがあるものの、中国政府としては、香港と大陸中国はアヘン戦争の敗北により、植民地(99年)としてイギリスに奪われただけであり、本質的には一つの中国であると考えているように思う。ただ、実際のところは香港と中国というのは全くもって別世界であるように思う。というのも、現在中国政府は”一国二制度”というものを取っており、法律(香港は英国と同じコモン・ロー)も違えば、社会制度も異なる。また、公用語も大陸中国とは異なっているのである。加えて、香港と大陸中国の間には、実質的な”国境”があり、大陸中国の人間が香港に自由に入ることはできない。例えば、日本人はパスポートさえあれば、ビザなしで90日間の滞在が可能だが、一方で、大陸中国の人間が”入国”するには、実質パスポートのような”通行証”が必要になり、また、签注(QianZhu)というビザのようなものも必要になる。これで晴れて入国できるのだが、7日以内に香港をでなければならない。大陸中国ではFacebookにアクセスできないことは当たり前のように知られているように思うが、一方で、香港ではこれにアクセスできるし、言論も大陸に比べるとはるかに自由だ。
こうした制度の違いや国としての成り立ちが違うことから、大陸と香港は実質的に異なるとの見方がある。ただ、そうした語られ方がする一方で、経済的には香港は中国大陸に依存せざるをえない。香港というのは、現在のEU内におけるロンドンの役割と似たような機能に終始しているようにも感じる。香港経済は金融がベースとなっているし、その金融はもちろんアジア太平洋をカバーするものではあるが、大陸からの企業の上場によって支えられている感も否めない。中国大陸では規制が多い為、それを嫌う大陸の企業群は香港に上場する傾向にある。大体の大陸の上場企業を見ればわかると思うが、香港に上場している。ニューヨーク株式市場に上場したアリババも最初は香港でIPO(Initial Public Offering:新規株式公開)をしようとしたものの、準備不足により、ニューヨークにて行うことになった。つまり、大陸の企業の場合、資金調達やM&Aといった会社の超重要戦略案件に関しては、香港に頼らざるを得ないというのが現状ではないだろうか。
また、一方で、香港がこうした大陸からの恩恵を受けているのは事実で、IPOであれば、アメリカのレートでいけば、7%の手数料が入る、例えば、アリババは2.7兆円をIPOによって資金調達をしたのだが、簡単に説明するが、その主幹事を果たした証券会社には1890億円の手数料になる。こうした巨額の上場における資金調達は中国大陸の企業では見られるようになってくるのではないかと予想される。もちろん、アリババの例はちょっと行き過ぎかもしれないが。これに加えて、100億円規模のM&Aで1%の手数料及び資金調達では3%と一般にされている。香港では競争が激しいと聞いているので、これがどれだけの信憑性を帯びているのかはわからないけれども、一つのベンチマークにはなるだろう。これに加えて、香港で働くには、英語はもちろん、”普通話”が話せることが必要になってくる。一方で、広東語はローカルな言葉なので、あまり必要とされていないというのがビジネスの現場である。ただ、こうしてみると、香港と大陸は実質的にはつながっているという見方をする方がいいのではないかと思わないでもない。
説明してきたように、香港と大陸中国はつながっているものの、アイデンティティは異なるため、ビジネスでは表すことのできない、私的な感情が入り混じっている。英国に入ってくる外国人のように、香港に入ってくる中国大陸の人間が不動産価格を押し上げている。また、物価上昇も中国大陸の人間が引き起こしているとされているので、香港人が自分たちの世界であるはずの香港が脅かされていると感じているようにも思わなくもない。しかし、一方で、日本人やイギリス人など、海外から来る白人たちには同様の感情を持っていない。むしろ、友好的な感情を示しているようにも思わなくもない。この感情の違いは日本人にも似たものがあるかもしれない。僕としてはマナーが悪いのは万国共通で許せないが、どの人間が日本に入ってきても、マナーよく暮らしている限りはあまり気にしないかも。
ピカチューは国民感情を示す一つのツールとしてこうした香港人の様相を示しているようにも思う。ピカチューというのは皆が好きだから、とかそういうものではなく、彼らにとって強大な、また、アイデンティティを示す影響の強いコンテンツであるがために利用され、また任天堂が非難されるという格好になっている。香港と大陸中国の関係性はこうしたピカチュー一つを取っても表されているようにも感じなくもない。
by lse_keio_sfc
| 2016-05-30 20:35
| 国際関係
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