2016年 04月 14日
デザイン・シンキング |
デザイン・シンキングという言葉を聞いたことがあるだろうか?おそらくほとんどの人は聞いたことがないように思う。”シンキング”というと、だいたいの人が思い浮かべるのが、”ロジカル”シンキング(論理的思考)の類ではないだろうか?最近はクリティカル・シンキング(批判的思考)も流行ってきてはいるものの、まだまだ道半ばという感じか。日本人には批判的思考が足りないと言われている。批判的主張を繰り出すと、半沢直樹で明らかになったように、日系企業の多くではいきなり左遷される可能性がある(リアルな場で倍返しをすると、自分が1万倍返しを食らう的な?)。そんな硬直的な組織では批判的思考は必要ない。ただただ、イエスマンになることの方が何倍も重要なのではないだろうか。日系企業の組織構造をよく知らないので、あまり強くは言えないが。
さて、今回のデザインシンキングに関連する内容だが、デザインシンキングと聞くと、utterly creative something?みたいな感じがしないでもないが、実は内容に関してはプラクティカルである。例えば、クリエイティブだったり、イノベーションに関する思考が必要であったとする。その際には、何かしらのフレームワークを使い、自分の意見を正当化していく必要がある。その際に使われ始めているのが、デザイン・シンキングであるように思う。問題発見・解決というのはよく言われるが、こちらのデザインシンキングでは、”問題発見・正当化”(Discovery, Justification)というプロセスをたどるように思う。
そのプロセスにおいて、仮説を立てるのだが、その際に、知識に基づいていることが前提となる。最高の説明をするために、論理的には飛躍していたとしても、もっともらしい仮説を立てるということが、デザインシンキングでは重要となる。そして、その仮説を正当化するプロセスにおいて、演繹法や帰納法といった思考を使うことになる。ここでは特に演繹法や帰納法がどちらが正解かという話ではなく、どちらも使っていいし、必要に応じて、両方のプロセスを使うこともできる。こう聞くと、デザイン・シンキングが創造的な何か?ではなく、一つの論理的思考ツールであることが何となく理解できるのではないだろうか。ただ、これが使われるのは、イノベーションであったり、クリエイティビティという現場に使われることが多いようだ。また、このデザインシンキングでは、”実験”的な要素が強い。つまり、論文のように、”何かを証明する”というものとは性格が異なっている。
近年、”走りながら考える”という言葉をよく聞くだろうが、その類のことに使えるのではないだろうか?イノベーションなしに企業や組織の成長は難しくなっている。リバースエンジニアリングなどの”一見”イノベーティブな思考が必要のないように見えるものもあるが、基本的に何かを生み出すとなると、究極的にはイノベーティブな思考が必要になる。そのことを考えると、デザインシンキングの有用性というのは必然的に高くなるように思う。
世界ではこうした学術的研究も行われているのである。日本のアカデミックからこうした類の論文が出てくることはない。思考というのは、哲学からそもそも派生してきているものであるが、それが社会科学や自然科学といった分野にまで及び、それらの分野とうまく混成され、新しい考え方が次々に生まれている。日本において、こうしたことを学ぶ機会はほとんどないし、あったとしても、それほど重要なものとして捉えられない。加えて、日本の学生が学ぶと、多くの場合は”表面的な”レベルに終始してしまうことが多々有る。これは、考えてないからであることと、何のためのツールなのかを理解していない場合が多いからである。
僕の場合もまだまだ表層的な理解に終始しているため、これからデザインシンキングが何か?もう少し理解を深めていきたいと思う。
by lse_keio_sfc
| 2016-04-14 17:42
| 思考
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