今回は経歴について述べておきたいと思います。海外大学院という経歴はどのように皆さんには映るでしょうか。もし、ドメスティックな環境にいればそれは良い経歴と言えるかもしれませんし、逆に、ドメスティックな環境にいない方は、「そんなの学校で違うに決まってる」という人もいるかもしれません。正直、どちらも言えます。特に間違いはありません。
日本にいると、海外のバックグラウンドはプラスに働くときもあれば、そうでないときもあります。なぜか、海外大学→国内大学院だとあまり良い経歴に見えないのに、国内大学→海外大学院だとよく見えます。また、最近ではそうではないかもしれませんが、外資に新卒で入社することが、”スペックの高さ”を示せることもあれば、逆に、”外れもの”扱いされる風潮はないこともありません。日系に行った方が経歴がよく見える場合もありますし、そうでない場合は少ないかもしれません。とは言え、最近は学校にしても、海外にしても、最近は偏見は少なくなってきているようにも思います。
どうしてこのような話をするかと言えば、私の経歴についてレファレンスされることが多く/多かったためです。経歴を蓄積することにより、自分の市場価値そのものは向上していくようにも見えますが、その一方で、周囲からは敷居の高い人間に見えたりもします。その結果として、本来取れるはずであった選択肢も全てがリスクに見えることも無きにしも非らずですし、また、自分の期待値が上がりすぎて、その他の選択肢が全く取れなくなってしまうように思います。自分で自分の理想像を作り上げてしまい、そこから動けなくなってしまうこともなくもありません。周囲もできることが当たり前であるため、できないことが許されないとか、選択肢を取れないようにしてしまうことは多々あります。
気をつけなければならないのは、以前にも書いたかもしれませんが、自分がどうしたいのか、という気持ちを強く持つことの方が重要なのかもしれません。優秀な方は当たり前のようにたくさんいるのですが、優秀であればあるほど日本の場合は型にはまってしまう傾向にあるかもしれません。海外大学院でトップ校に行っていると、何もしていなくても、色眼鏡で見られることは少なくないですし、期待値も高くなります。自分の一挙手一投足が全てを決めるので、かなり慎重にしなければならないように思います。一方で、そうした枠にはまって自分のやりたいことができないようでは、もったいないような気もしますので、それはバランスが必要であるかもしれません。こうした経歴は自分の人生を後押しする一方でダークサイドもあります。そうしたことを考えつつやるのが良さそうだなと思う今日この頃です。とは言え、私自身は実際のところ何も気にしていないわけですが。