文化的生活と食生活のつながりについて考えてみたい。生活文化の繁栄を示す一つとして、食生活があるように思う。食生活に対する考え方というのは本当に面白いもので、その人の文化に対する考え方と近似しているものがあるように思う。一般にエリートであればあるほど多様性が重要だと思っていて、一方で、社会的階級が下になればなるほどその考え方は逆になると一般に考えられている。だからこそ、生活圏が豊かになればなるほど、多様性に溢れていて、そうでない場合は閉鎖的で保守的な空間になるように思う。
ただ、若干日本人は例外的で、食文化は上の層から下の層まで多様性に富んだものであるにも関わらず、人々は生活が閉鎖的であるように思う。例えば、わかりやすい例を挙げると、食生活に外国のものが入り込んでいるにも関わらず、純粋な外国のものを見ると、受け付けない。また、テイストが日本人好みの味でなければ、他国の料理の味を受け入れない。また、日本の味覚が一番であると思っているので、それ以外はダメであると考えがちであることも見逃せない。ただ、ファクトベースで考えると、ミシュラン評価で東京には13店舗の三つ星レストランがあること、星の数全部で220店舗あることが、日本の食文化への意識を表しているものと言えるだろう。ちなみに、星の数で言うと、世界一であると言われている。GDP同様、東京都の人口密度や都市圏人口が競争的な環境を生んでいる上、こうした量が多いために、星の数が多くなってしまうという批判が聞かれたりするものの、一方で、だからと言って、それ全体を否定することができるかというと、そうではない。人口の多い国が必ずしも、洗練された三つ星に値するような食事を提供できるわけではないので。ただ、こうした文化への傲慢さがある種の「日本人の作るものは一番」と思ってしまう原因であるようにも思う。世の中に答えがないのと同じで、一番というものはまずないと思うのが正しく、また、こうしたミシュランに踊らされるのではなく、客観的でありながらも、自分の判断基準を持つことが重要であるようにも思う。日本人は基本的に主観的でありながら、周囲に踊らされる食文化を持つ傾向にあるように思うので。
また、中国人を見ていると、これもまた興味深いように思う。日本が文化的に寛容な食文化を持ち、閉鎖的な味覚への判断があるのに対して、中国人の場合、厳格な中華料理へのロイヤリティーと閉鎖的な味覚であるように思う。つまり、食文化に対してはかなり保守的なイメージがある。だいたい話を聞いていると、中華が一番美味しく、また、世界一であることを自負しているように思う。最近の中国人の場合、中華以外のものを食べることもあると思うのだが、しかし、大半は中華料理しか食べないことには変わりがない。とにかくダンプリングというイメージかも。ただ、中華が美味しいというのは事実で、レストランに行くと、イギリス人もよく食べに来ているし、British Born Chinese(BBC)と呼ばれる中華系イギリス人がいるのだが、そうした彼らや旅行に来ている中国人達よりもイギリス人の方が店内に多いということは日常だ。また、アジア系レストランの多いソーホー地区でも、圧倒的に中華が多い。こうしたことからも、中華の人気がわかるように思う。残念ながら、日本食は日本で狂気なほど日本食人気というイメージが伝えられるほど、人気ではない。というか、美術館で日本文化に対する人気が高いということを除いては、日本や日本人に興味のある人はさほど多くない。また、フェイスブックを見ると、よく日本人が外国人に文化の押し売りをしているのだが、そんなに頻繁に日本について知りたいわけでもなく、また、民族衣装を着て、プロフィール写真にしてしまっているところはちょっと違うのではないか?と思わなくもない。残念だ。日本文化を売り出すのに必要なのは、外国人にナチュラルな形で日本を知ってもらい、相手が主体性を持って関わろうとする環境を作ることであって、押し売りすることではない。日本人はあまりそれがちゃんとわかっていない気がする。中国人の方は自分たちで自分たちの料理が美味しいと思っているだけなので、それはそれで無害かも(笑)それをこちらに出してくることもないし。
イギリス人やアメリカ人は文化的多様性に慣れているため、それぞれの文化に対して寛容である。と言いたいところだが、彼らの場合、階層によって、全てが異なる。イギリス人の場合、中流階級以上にならなければ、他文化に対する興味がない。特に田舎の方に行けば、それに拍車がかかるようなイメージだ。一方、アメリカ人の場合、住む場所によって全てが異なる。沿岸部かつ、裕福な地域の環境で生活していれば、他文化に触れる機会が多くなるし、また、それに対する興味も湧くだけでなく、それが当たり前のものとして捉えることができる。つまり、アメリカ人の場合は経済的資本が彼らの生活の裕福さを物語るように思う。
結局、環境的要因が多様性に対する寛容さの意思決定を助長しているのではないだろうか。僕はそんな風に思っている。