2015年 11月 11日
平均的な日本人 |
日本ほど平均的な人種はいないなと感じさせられることが多々ある。いい意味でも悪い意味でも。多分、どこの国の日本人にも言えることなのかもしれないが、基本的に日本人はスーパー金持ちの人は少ない気がする。アジア系の金持ちというと、かなりギラギラした感じの人が多い上、明らかに違うなというイメージが植え付けられないこともない。
普通に考えれば、親が年収1億以上とか、資産100億以上といった家庭はあるにはあるかもしれないが、諸外国のように多数いることはまずない。日本人の場合は、親の年収で言えば、せいぜい1500万くらいでアッパークラスといったところだ。高いところは2000万とかくらいか。年収はそれでも、所得税が上限レベルでかかり、住民税がかかってしまうと、手取りは上記年収から800万から1000万くらいしかないように思う。節税でいくらかはなんとかなるのかもしれないが、それでも、日本の場合だと金持ちといえないのではないか、というレベルでの微妙な感がある。基本的に年収単位で何十億も稼ぐ人間を見ていると、日本の格差が開いているという話は確かにそうなのかもしれないが、海外と比較すると、そんなレベルの話ではないように思う。
修士以降でLSEに来るような日本人だと、首都圏の中高一貫校又は県で一番とされている公立校、一流大学、一流企業・官公庁といった感じで、日本人で頑張れば到達できるような範囲のものであるような気がする。必要とされているのもほぼほぼ能力と努力だけなので、親の年収が致命的な影響をあたえるかというと、全くもってそんなことはない。海外だと、そもそも教育を受けられる人間が明らかに限られる。それは年収によって受けることのできる教育が明らかに違うからだ。また、大学進学となると、その受けた教育がそのまま反映される。従って、パブリックスクールorボーディングスクールからアイビーやオックスブリッジといった学部に進学する。こうした学校で醸成されたアクセントは明らかに階級を意識付けるものであったりするため、明らかに育ちの違いが出るし、お金がなければ何ともできない。
日本人の場合、どちらかというと、一流大学とそうでない大学で感覚が違うくらいの感じしかなく、年収によって差がでるということはあまりないのかもしれない。極論を行ってしまえば、誰にでも機会があるということだ。これは本当に幸せなことなのかもしれない。そんな風に思わさせられる。英語ができないのはみんな共通であるし、年収の差が出ているわけでもない。こういった一つ一つのファクターを見ていると、日本人とは本当に平均的な人種だ。そんな風に考えることが多くなってきた。
by lse_keio_sfc
| 2015-11-11 07:06
| 教育
|
Comments(0)