2015年 06月 03日
学部教育で学んだこと |
学部教育で学んだことについて振り返ってみたい。学部教育においては、「学んだことは全くない」ということがある。これは僕に関するところはノーだと思う。ただ、学部教育で専門性が磨かれたか、という点においては必ずもそうではない。
僕のいたSFC(湘南藤沢キャンパスの略)という教育環境は国内においては非常に特殊で、自分が学びたいものを文理関係なく勉強できるという点や、いろんな科目を勉強することによって、様々な科目が分離しているのではなく、それぞれが有機的につながっていることを理解することができる。加えて、学生のバックグラウンドも多様で、確かに多くの人間は日本人だ。しかし、それぞれの興味関心や大学までの過程は面白いほど分散している(数学オリンピックから起業家、芸術家など)。アート系から社会科学、生命科学、建築に至るまで、基本的にはなんでも履修できる。SFCというと、Web系のイメージが強いが、実はインターネットはその中の一つに過ぎず、何でも履修することができる。そのため、同じ学部の中にもかかわらず、政治経済を履修するものとコンピューターサイエンスを履修するものに分かれていたりする。また、授業に関してもかなりハイレベルなことまでやれるようになっている。授業では履修できることが限られたりしているが、研究会というゼミに入ることで、足りない部分を教授に相談したり、フィールドワークの助成金をもらって国内外の現場体験、ゼミ生や修士博士の先輩に教えてもらうことで解決できるようになる。それでも足りないようであれば、他学部の授業を履修し、他学部のゼミに入って補うという手もある。High achieverにとってはこの上ない環境だと思う。
一方で、弊害もある。それに関して言うと、学部の提供カリキュラムに沿って受動的な態度で臨むような人には向いてないと思う。というのも、必修がほとんどなく、自分でカリキュラムを決める設定になっている。高校を卒業して入学することになった場合、自分で何を基礎科目として何を専門科目としていいのかがわからない場合も多くあるに違いない。しかし、そういった場合でも、大学は可能な限り不必要な関与を排除している。実際にこうした環境に馴染める人は馴染めるし
そうじゃない人はそうじゃないとしか言いようがない。ただ、僕の知る限りでは、SFCに入学してよかったと言っている人しか見たことがない。それは彼・彼女ら自身がSFCを定義し、斟酌した上で、卒業していることに他ならないし、そうしたことができるような環境を学校側が提供しているのだろう。
僕としては、SFCで学んだこととすれば、自分の専門としたい分野に対して、様々なアプローチができるようになったこと、分離しているように見える科目が実は繋がっていて、新しい研究や考え方を生み出す要因を発見できるようになったこと。そうしたことが SFCにて学んだことと僕は言えるのではないだろうか。確実に言えることは、この環境なしに自分は成長できなかっただろうな、ということである。
by lse_keio_sfc
| 2015-06-03 16:22
| 大学時代
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